サラリーマン金融の経営基盤

団地金融から始まった消費者金融

1960年(昭和35年)、高度成長の真っただ中の大阪で生まれた「団地金融」が消費者金融の発端とされています。この世に産声を上げてからわずか40年にすぎません。歴史という点で見れば他の金融機関の後塵を拝していますが、その成長には目覚ましいものがあります。

とはいえ、この業界にも紆余曲折はあります。その歴史をたどってみましょう。

高度成長経済のなかに生まれた消費者金融でありましたが、その後日本経済は一九七三年、七九年と二度のオイルショックを経て低成長経済に移行し、産業界は本格的な構造転換期に突入しました。同時に、戦後の日本経済を支えてきた金融体制も崩壊し、金融の自由化、国際化など大きな変化が生じました。

こうした環境下でも銀行は、相変わらず企業金融が中心であり、個人向けローンには背を向けていました。これが消費者金融発展の契機となりました。七五年以後、一般消費者を対象にした消費者金融業者が雨後のタケノコのごとく生まれました。

一九七五年(昭和五〇年)に四六六〇億円だった融資残高が、八四年(昭和五九年)には三兆五〇〇〇億円と、 一〇年間で約七・五倍にも増加しています。この間が消費者金融業界の最初の成長期でありました。

しかし、この時期は一方で一部業者の高金利、過剰貸出し、悪質な取立てによって悲惨な多重債務者を生み出しています。過剰融資を受け、返済が滞っている貸付先へ苛酷な返済を追る催促や取立てが行なわれ、耐えかねた債務者が一家心中や自殺に追い込まれる事例が続出し、国会でも取り上げられ大きな社会問題となりました。

こうした社会的な批判の高まりのなかで、大蔵省は「消費者金融」に対する規制強化策を打ち出しました。それが、八三年一一月施行となった「消費者金融二法」(「貸金業の規制等に関する法律」および「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」の一部改正)です。

同法による規制の内容は次のようです。
(1)金利を上限の七三%から五四・七五%、さらに四〇%へと段階的に下げる
(2)貸付けは一業者五〇万円まで、または顧客の年収の一〇%相当額を限度とする
(3)夜間の取立ては禁止され、夜九時から朝八時までの自宅訪間や電報。電話も禁止 それまで、倍々ゲームで伸び続けた消費者金融業界であったが、「消費者金融二法」 の影響は大きく、一気に″消費者金融冬の時代″へと入っていきます。

着実経営で冬の時代を乗り切る

銀行や生命保険会社など各金融機関は、大蔵省の通達を受けたこともあり、消費者金融業界への融資を引き上げるなどの措置をとりはじめました。こうして、資金調達のパイプを切られた消費者金融業界に倒産ラッシュが起こりました。

そのなかでも衝撃的だったのが、当時武富士、アコム、プロミス、レイクなど大手四社に続く準大手であった「ヤタガイクレジット」の倒産です。

ヤタガイクレジットは、 一九六九年にスタートし、その後時流にも乗り積極的な事業展開をしていきました。東京を中心に関東地区に地盤を持ち、支店数一七〇店、融資残高二〇〇億円、顧客数も八〜九万人という規模に成長していました。

同社の倒産の原因として考えられるのは、不動産投資の失敗のほか、急激な店舗拡 大策で資金の回収が追いついていかなかったこと、店舗展開にともなう広告・宣伝費、管理費の増大ですが、これに追い打ちをかけたのが「消費者金融二法」でした。 ヤタガイクレジットは「消費者金融二法」施行の約一年後に倒産しました。

このヤタガイをはじめとして、中堅業者、中小業者が相次いで倒産し、 一九八三年の時点で全国に約二二万社あった貸金業者が八六年には五万三〇〇〇社に減っています。業界全体の融資残高も伸びが鈍化していた時期です。

しかし、業界大手である武富士、アコム、プロミス、レイクでは店舗の統廃合による合理化の推進、経営の多角化などで企業体質を強化するなど着実な経営で、この冬の時代を乗り切っています。

こうして、中堅。中小業者の整理・淘汰が進み、一方で大手の寡占化の進展など、業界の再編成が行なわれました。その後いわゆるバブル経済に入り、再び残高が急増しました。

バブル期の特徴は、都市銀行をはじめとする各金融機関が消費者ローンの拡大に積極的に取り組んだ点です。地価や株価が上昇したため、有担保の大型フリーローンや有価証券購入ローンなど新タイプのローンが登場しました。また、消費者側でも景気拡大を背景に個人所得が伸びて消費が活発化したことなどから、高級品志向、高額品志向が高まり、ローンの利用額も高額化しました。

このバブル経済も九〇年代に入ってはじけ、 一転、日本経済は不況の長いトンネルに入ることになります。ぜいたくな生活を続けてきた個人にも、"それいけドンドン"で放漫経営をしていた中小企業者にも"つけ"が回ってきました。倒産の増加、それにともなう銀行の不良債権の増加で、金融機関の経営そのものが破綻するという事態にまで発展してしまいました。

このように、バブル崩壊は企業対象の有担保融資を行なっていた金融機関には大きな痛手となりましたが、この間、消費者金融業界はむしろ経営の基盤づくりに力を注いでいました。あくまで個人への無担保。無保証融資戦略を貫き、また経営合理化にも積極的に取り組み、無人契約機の開発などユニークなシステムを誕生させて、着実な経営を続けてきました。

このことが、銀行をも上回る高い収益性を達成できる優良企業へと発展したゆえんでしょう。